春を待ちつつ
 


この冬は総じて暖かだったという印象が強く。
北の方では大雪も降ったようだが、
全国的には雨の方が多かったようだし、
漆黒の姿や不穏な所業を紛れさせやすい夜更けに動くことが多いのに、
さほど重装備をして出かけた覚えも、そういえばなかったような気がする。
任務で張り込みやら格闘やらが多い身、
機転の利くよう、動きやすい恰好が多かったとはいえ、
それなら尚のこと寒ければ印象に残るものだろうにと思っておれば、

 『そうか?
  手前はどんだけ言ってもその薄い外套しか着て来ねぇだろうが。』

体力がないのを気丈さだけで支えてるような身だってのに、
自分をいたわらないところを全然改めねぇと、
前衛や遊撃を指揮したり単独で当たったりという役回りで
ご一緒する機会の多い中原さんによく言われたが、
それは任務上、異能の発現に勝手が良かったからそうしていたまでのこと。
休みの日はそうでもない。
出来るだけ食事もとるようになったし、身なりを整えることも心掛けていて、
そうなった切っ掛けは…と思い出しかけ、

 「………。//////////」

ああと気づいたと同時に微妙に顔へ熱が上がる。
込み上げるものが露骨ににじまぬよう、口許を噛みしめる。

 『ほら、キミって紺色やカーキ色も似あうのだって。』

カーキ色だといかにもなペアルックになってしまうかな?
でも、私が濃い色を着ると大男だから圧迫感が物凄いと思うのだよね。
お揃いは恥ずかしいとか、一緒に歩きにくいとか言われてしまいそうだから
強引には勧めないけれど どうだい?と。
濃紺のチェスターやら渋いレンガ色ステンカラーやらと、
逢うごとに見立てて下さるのへ恐縮した末に、ほらほら着てみてと言われては袖を通したし、
ほら似合うと嬉しそうに破顔なさるのはこちらへも嬉しいことで。
そんなこんなを思い出しつつ、
任務中続いた曇天が あっけらかんと晴れた休日を迎え。
変装のためという癖もあっての偏光眼鏡を外しつつ、
目当てのフラット前へ辿り着くと、

 「……。」

少々逡巡したが、意を決してドア横のインタフォンを押す。
エントランスロックは合鍵を渡されていたので来意を示さずとも通過できたが、
さすがにここの扉を開くには一応お断りが要るだろうと思ってのこと。

 すると

わっという不意を突かれたような声と、
がちゃがら・かららという何かが崩れたり転げるような物音がドア越しに聞こえて。
何事かと驚いておれば、スリッパで急ぎ足にすたすたと向かって来る気配。
あ…と嫌な予感がしたのは、やや不機嫌な彼の人の足音と歩調が重なったせい。
いまだに身が凍りかかる恐怖の対象なことが我ながら情けないと思ったのと、
鋼鉄のドアががっちゃと薄く開いたのがほぼ同時。

 「…もしかして、芥川くんかい?」
 「はい。」

ほんの刹那、どちらからも言葉が継げないままという間合いが出来たものの、
ドアノブへ手を掛けていた相手が一旦ドアを閉め、
すぐにも開いたのはチェーンを解くためだったようで。

 「上がって。というか、ざっと片付けるからリビングで待ってて。」

戸惑う様子も見せぬまま、テキパキとした態度を示される。
飄々としていて朗らかな顔の多い、今現在のこの人に馴染みな者には
やや素っ気ないのが意外かもしれぬが、
それらは当たり障りのない距離感を保てる相手へ用意された作り笑顔。
不意打ちにも動じず、適当な舌先三寸であしらえるからこその貌なのであり、

 「ここで待ってて。あ、こっち来ちゃダメだよ?」

玄関先で靴を脱いだこちらの手を取り、有無をも言わさずとの勢いで誘導し、
着いたリビングでソファーまで引き寄せると、座った座ったとまだ外套を着たままの肩を押し込む。
多弁なのは怒ってまではないからで、むしろこちらに物言わさぬようにするため。
何かしら焦りを隠しておいでだと判る。
頭の回転の速い人だから、何でまた約束のない自分が此処へピンポイントでやって来れたのか、
素早く幾つかの答えを組み立てた上で、どれが正解だろかなんて検討しておられるのだろう。
確かに、不意打ちには違いない。
非礼な行動でもあるので、これ以上の強引な行為はためらわれたが、

 「……、?」

ふと、室内にほのかに漂う匂いに気づいた。
少し焦げ臭い、でも甘くて、割と覚えのある匂い。
冷たい風に吹き晒された外気にいるうちはあまり嗅げぬ、
どちらかといや緊張の解けた落ち着いた室内で縁のあったような…

 「…気づいてしまったかな?」

匂いの元を探るような、そんな視線の動きを察したか、
部屋着の上に帆布製のエプロンという姿だった太宰が かっちりした肩をすくめ、
ムキになったり意固地になったりは今更だと思ったか、
あっさり降伏すると、苦笑交じりに息をついた。

 「外套を脱いでキッチンへおいで。」

日頃も身ごなしは闊達でに切れがある人だが、
自宅同然のフラットなのに妙にきびきびと歩まれるので、
若しや勝手なことをしてと怒っておいでかな、
だったら叱られるのは覚悟した方がいいのかなと。
やや悄然としつつ、それでもぐずぐずはしないようにと
外套を脱ぎ、下に着ていたシャツとニットを整えつつキッチンへ向かえば、

 「処分しようと思っていたのだけれどね。」

そうと言って、テーブルに置いた黒いトレイを
指を揃えた手でという行儀の良い所作で示すお師様で。
シャツの袖をまくっていて、そこから覗く包帯も見慣れたが、
その先の 器用そうな、だがいかにも男性のそれ、頼もしい手が指し示しているのは、

 「……くっきー、ですか?」

型で抜いたものなのだろう、星形や円形といった焼き菓子が数列ほど
黒いトレイの上で、ちょっぴり不貞腐れているかのように放置されていて。
もう冷め始めているものか、太宰の手が1つを摘まんで、指先でクルクルと弄び始める。

 「レシピを読んでその通りにやってみたのだが、
  何が不味かったのか端の方から焦げてしまってね。」

なのに、中にはやわやわと しけっているかのようなのもあって、
満遍なく熱が回ってなかったのかなぁと、小首を傾げるところは、
言っちゃあ失礼かもしれないが、もっと幼い子供みたいで、

 「〜〜〜〜〜。」
 「? 何だい? 可笑しいなら笑ってよ。」
 「いえ、あの…。//////」

可笑しいのではなくと拳を口許に当て、

 「探求心が旺盛な人の、実験中のようなお顔をなさったので。」
 「ええ〜〜?」

何て斜めなことを言うかなと呆れられるかと思いきや、

 「じゃあ白衣を取り寄せなきゃあね。」

梶井くんだっけ、あの大きな彼でも着られるサイズがあるようだから、
そこいらの作業服店にも吊るしがあるかなぁ?なんて
そんな即妙な言い返しをして、
端麗なお顔の一番印象的な目許を綺麗に細めるものだから、

 「〜〜〜〜〜っ。///////」

目撃した芥川がわぁあと内心で大きにうろたえ、
卒倒しそうなほど赤面したのは言うまでもなかったのであった。



     ◇◇


始末すると言い張るのを押しとどめ、生焼けのぶんだけを除外しつつ、
クッキーはまだ手掛けたことがありませんがと、
前おいてから、

 「恐らくは
  オーブンを前もって温めておかねばならなかったのではないでしょうか。」

確かこの前 人虎こと敦くんのところでケーキを焼いた折、( ちょっとチョコレート 参照 )
そのような準備をせよとの注意書きがあったようなと、レシピを思い出した芥川だったのへ、

 「おおそうか。余熱というのはそういう意味だったのか。」

ぽんと手を打った太宰に会釈をし、クッキーの一つへ手を伸ばす。
端っこ寄りのやや褐色が濃いそれは、煎餅ほどの大きさがあり、
口許へ運ぶと焦げた匂いもしたけれど、
さくりといい歯ごたえで齧れて、バターの風味がしっとり広がる良品で。

 「あ…。」

向かいから発せられた意外そうな声に、芥川もはっとして

 「すみませぬ、許しも得ずに行儀の悪いことを。」
 「いや、それはいいんだが。」

苦かったんじゃない? それか生焼けとか。
案じるようにこちらを窺いみるという表情も、
この男から自分へとなると滅多に見られぬそれだったので、

 「〜〜〜〜〜。////////」
 「?? もう熱くはなかったはずだけど、芥川くん?」

真っ赤になったのどう解釈したものか、
ますますと身を乗り出し、
大丈夫かい?と テーブルを挟んだ向かいにいる愛し子のお顔を覗き込む。
まだまだこの美顔が間近に迫るのには慣れないか、
それでも仰け反ってまでして逃げはせず、

 「いえあの、美味しゅうございます。///////」
 「それはよかった。」

口調が妙にぎこちないが、
いまだにこの距離感や立場に慣れない彼なのか、
まだまだ時たま覗くことなので、むしろ微笑ましいと感じて受け流したうら若きお師匠様。
ぺこりとお辞儀までしてきたのへこちらも合わせてやってののち、
では飲み物をと、勝手知ったるで棚から挽いてある珈琲粉を取り出す彼なのへ、
太宰の方も任せる所存か、
トレイの処女作をざららと皿へ移しリビングの方へ持ってゆく。
湯を沸かしつつカップや砂糖、ミルクを揃え、
ペーパードリップで手際よく淹れたコーヒーを運べば、
まだ挑戦は続けるつもりなのかエプロンを外さぬままでいる。
砂糖もミルクもたっぷりの珈琲を堪能し、お互いにふうと一息ついてから、

 「大体なんで此処へ?」

芥川も非番だとは聞いてない。
だから知らせてはいなかった、というか
知っておれば共に過ごしたものをという含みもあるものか、
やや駄々こねの気配も滲ませた甘いお顔になって問うたれば、

 「それが、」

昨日手掛けていた任務が、思いの外 手際よく片付いたので、
夜通し掛かりになろうかという見積もりがずれ込み、本日丸々空いて急な非番となった。
こういうときの遊び相手である人虎に“暇ではないか?”と電話にて連絡したところ、
ちょっと考えるような間があってから、

 「このフラットへ行ってみろと。」
 「おや。」

太宰のセーフハウスなのは彼も知っており、招かれたことがあると言い、
恐らくそこで楽しい悪だくみ中だからと続けた声には含み笑いの気配がし、

 「鼻が教えてくれたなんて言ってましたが。」

どういう絡繰りなのか、芥川本人にはよく判ってはないらしく、
だがだが、太宰の方はさすがに得心がいっている模様。

 「そっかぁ、敦くんがねぇ。」

昨日の帰りしな、輸入品を始め 品揃え抜群の大きめのスーパーに立ち寄って
小麦粉やバター、バニラエッセンス、クッキングシートにクッキー型などなど、
およそ独身酒飲み男の自宅には常備されてないものを買い込んだ。
社屋からも寮からも遠い店だったはずだが
思えば自分は裏社会で顔が売れている身だし、
履歴を洗って表社会に身を置いていようと いまだにそっちの人間とも交流があるのだから、
顔が差してもしょうがない。

 “若しかしなくとも中也辺りだな。”

選りにも選ってポートマフィアの幹部格、目端も利くのが知り合いで、
しかも件のスーパーは彼奴も贔屓にしていた店だ。
菓子を買うならともかく、手作りの用意一式とは何だ何だと、
本人が見ていたか、それとも懇意の誰か顔見知りが見てしまい、ネタとしてご注進したか。
そうだよなぁ、出来合いを買うよな普通。
こういう運びを見越して、それでも徒に喧伝はせず、
当事者だろう芥川へは もしかしてそっちは奇遇で共に居た恰好だったろう
敦くんを仲介に立たせてちょいと気の利いた形に収めたあたり、
ずんと良心的な配慮だよねと、
そこを自分でもくすぐったく思いつつ、胸中にて噛みしめておれば、

 「これはどのような もてなし用なのでしょう。」

時々、思い付きで妙な料理をすることもあるお人と記憶していたらしい芥川。
漆喰ほどありそうな固い硬い豆腐とか、何やら怪しい鍋だとか、
中原さんが言ってたようなと思い出しつつ訊いてみる。
まさか探偵社の誰ぞを揶揄うための小道具なのか、
それにしては丁寧な仕様だと判るから、微妙に解せぬ。
自分から求めて取り寄せることはないが、
それこそ中也や樋口経由で、
誰ぞからの土産だというこの手の菓子を口にする機会はたんとあり、
使われていたバターの香りの豊潤さなどから、
決してお遊びに使ってそのまま捨てていいよな安物じゃあないと察したらしく。
黒味の強い双眸を瞬かせ、不思議そうに訊いた漆黒の君へ、
ふふーと悪戯っぽく笑って見せて、

 「予行演習さ。」

それ以上は内緒と、角っこが褐色のを一枚手に摘まんでさくりと齧った、
ヨコハマ最強、でもでも愛し子には甘い、二枚目策士様だった。


 
HAPPY BIRTHDAY! RYUUNOSUKE AKUTAGAWA!!


     〜 Fine 〜    19.02.24.


 *フライングにもほどがあるうえ、
  判りにくかったかもしれないけど、そういう作品でした。
  ちなみに、
  女護ヶ島のほうの のすけちゃんも(人虎〜〜〜)
  こっち方面はちょっと不器用な太宰さんから
  甘いおやつ付きのお誕生祝いをされていることと思われます。
  だって世界線は同軸な並行世界同士ですゆえvv